令和元年9月16日〜22日 活動報告

今週も田中秘書と共に朝の清掃&挨拶活動からスタートしました。

朝晩は涼しくなって大分活動しやすくなりましたが、日中との寒暖差で体調を崩しやすい時期でもあるので、服装などに気を付けながら元気に過ごしていきたいと思います。

台風15号の影響で被害を受けた方々のボランティアに岡村県議と平松県議、妻とインターンの中村君と共に外部支援を受け入れている富津市に行ってきました。

メディアでの報道で被害状況はある程度把握していたつもりでしたが、現地に行くと想像以上の被害状況でした。

民家のほとんどが何かしらの被害受けている状態で、屋根などはブルーシートで応急処置をしていましたが職人も全く足りてないのでまだまだ復興には時間がかかることは間違いありません。

現地では社会福祉協議会の方々が被害を受けた方とボランティアのマッチングをしっかりしてくださっていたお陰でスムーズに支援先が決まり早速作業に入りました。

農家さんの米と米の冷蔵庫の移動や瓦礫の片付け、倉庫解体と解体後の建築資材を集積所に移動するなど作業は多岐にわたりましたが、元建設屋である私は、屋根の解体を中心に時間の許す限りメンバーと一生懸命に汗を流しました。

ご自身が被害に遭われている中、温かいおにぎりや自家製の漬物など心温まるおもてなしも受け本当に恐縮してしまいましたが、休憩中にお話しを聞くと「我々のようにまだ家に住めて、電気も水道も通るようになった地域は何とかなる。本当に支援が必要な地域は助けを呼びたくてもライフラインが途絶えている中でその手立てもないのが現状。公はそういう地域にこそ支援の手を差し伸べて欲しいし、普段から自治会などと連携を組みこうした災害時に連絡が上がって来るような仕組みを今後は考えて欲しい。」と強く仰っておりました。1日のボランティアでしたが家主さんも大変喜んでくださったので少しはお役にたてたのではないかと思います。現地に行かねばわからない声をしっかりと受け止めて今後に活かしてまいります。

まだボランティアを受け付けておりますので「富津市災害ボランティアセンター」経由で是非支援をお願い致します。災害支援には簡単な手続きで高速代も無料になりますので併せてお使いください。

NEXCO東日本

木曜日には令和元年埼玉県遺族連合会 第四ブロック研修会に参加しました。今回ホスト市になっていましたので多くの皆様が行田市に足を運んでくださり共に研修出来た事を嬉しくお思います。戦後74年が経ち未だ苦しむ方々がいることを決して忘れてはいけません。我々責任世代がしっかりと受け継ぎ伝えて行く必要があります。私は挨拶の中で「令和の世の中になった今でも日本国沖縄には未だ骨すらすくい上げられない現状がある。国会議員の先生方も多く参加してくださっているので是非国策として全ての英霊をすくい上げてください。日本の本当の自立はそこから始まると確信してます。」と訴えさせていただきました。私自身も一政治家として微力を尽くしてまいります。

平日は県庁にて研修や事務作業をしております。本会議直前ということもあり、慌ただしくなってきましたが、しっかりと準備を整えて臨んでまいります。

週末土曜日は、母校長野中学校の体育祭に参加しました。私が卒業してから30年近く経ちますが、国旗国歌を大切にする校風を受け継いでくれていて嬉しく感じました。後輩の皆さんには秋空の中優勝目指して大いに頑張ってほしいと思います。

その後秋の全国交通安全運動出発式に参加しました。1日警察署長にふなっしーが任命され会場にいる子供達も大喜びでした。私も自分自身の運転を振り返り安全運転に心掛けます。

日曜日は、第118回行田市少年野球秋季大会に参加して挨拶させていただきました。県議会議員杯もある大会で私も30年前に行田市少年野球の歌に背中を押されながら、同じ土を踏みしめて入場行進した思い出を話しました。失敗を恐れず、フルスイングで試合に臨んでほしいと思います。

その後一路、浜松にある我が師「林英臣事務所」に向かいました。私の政治家としての原点を磨く場所「林英臣政経塾」の同志と次年度へ向けた執行役員会議を行いました。全国に志を同じく活動出来る同世代の仲間がいることは大変有り難いと感じます。松下幸之助翁の一番弟子である林塾長の教えをしっかりと体に叩き込み、同志と共に日本改新に向け取り組んでまいります!